2016年9月5日月曜日

2016 クライブ・シェリダンのリトリート&ワークショップ 今年も開催です〜

すっかり年1回の更新のブログとなっております。また、今年もクライブ・シェリダン師匠が日本やってきます。京都嵐山でのワークショップ、東京奥多摩の御岳山でのリトリートが9月にあります。何となく書きたいことはあるけれども、どんなことになるやらに、徒然なく綴ってみます〜
 ではまた、恒例の今年のお札(フライヤー)をどうぞ!

真・善・美!

今年は、今までのシャクティな感じ —赤系とか下向き三角形— からシヴァな感じになりました。クライブ師匠の色をフィルターしたりして、なんだかクラブ・イベント風な印象を与えてしまったりするかもしれませんが、ちゃんとヨーガのワークショップと合宿です。けれども、そんなクラブ・イベントとか通っていたような方々にぜひご参加していただきたいような気持ちも多分に含まれています。音楽が好きで自由を愛するココロを持っている方々に送りたいです。
 シヴァについて、一応、説明しておきますと、シヴァはインドの神さまの一柱ですが、シャクティ(女神—女性原理)と対比したとき、男性原理あるいは純粋意識を象徴したりもします。枠上段の上の文字、“Satyam Shivam Sundaram ! ”  「真・善・美」とでも訳されましょう。"Satyam" は真理・真実、"Shivam" はまさにシヴァですが、その意味は「善き人」「吉兆の人」とされます。破壊の神とされますが、その名前の意味は素朴に真っ当です。シヴァはまた、ご存知の方も多いでしょうが、ヨーガの始祖ともされ、ヨーガ行者のイメージとしてとらえられることも多いです。"Sundaram" は「美しさ」です。合わせて「真理を体現する善き人は美しい!」とでも訳せましょうか。シヴァのマントラのひとつです。
 枠の上段の真ん中の上向きのフォークのような形のものは、トリシュールと呼ばれる三叉の槍で、 シヴァ神の図像を見るとよく出てくるアイテムです。インドでシヴァ派の聖地に行くと目にすることもありますし、実際に持って歩く行者もいます。一言でその意味合いを言うとすると、「間違った理解を断ち切る象徴」とでも言えましょうが、さまざまな意味合いがあります。詳しくはネットなどで調べてみてください。
 枠の中段の真ん中は、以前のお札でも出て来たシュリ・ヤントラです。上向き4つの三角形は男性原理シヴァを象徴し、下向き5つの三角形は女性原理シャクティを象徴します。上向き下向きの三角形が同数でないのがミソで、均衡のズレが現象世界の多様性を象徴しています。インドで9はマジック・ナンバーです。
 枠の下段の真ん中は、去年も出て来たシャクティを象徴する下向き三角形です。その中にサンスクリットのオームの文字。現象世界を生じさせるエネルギーを宿した女性原理。去年のブログはこの話を書きました。

直接の道

そして、枠の下にあっさりと書いてある “A Direct Path to . . . Self-Realization” は、「セルフ・リアライゼーション(自己実現)への直接の道」という意味です。よくわからない表現かもしれませんが、クライブ師匠の勧めることは、そして多くの真剣な行者がヨーガを行うのはこのセルフ・リアライゼーションを目指す、自己の真理に辿り着くことです。この道にはさまざまなものがありますが、多くの道は何かいろんな用語を覚えたり、こんなことが出来るようになったり、あんなことが出来るようになったりしてと段階的な道であるようです。クライブは、直接な道を勧めます。段階的なプロセスを軽視する訳ではありませんが、その段階的なことにはまり込み本来を目的を見失わないように伝えます。多くのことがそうではありますが、目的を目指すための手段が目的化し、なぜこんなことをしているのか疑問にも思わないような事態が日常化します。そうした惰性にはまらないように、シンプルにただ気付くことが大事です。注意深さを養う必要性をクライブを伝えます。私たちは真理に気付くチャンスを見逃し続けていると考えられます。そうした時間の無駄をなくし、直接悟れと私たちを促します。
 これは難しくあるように思えるかもしれませんが、朗報です。今後、いまの世界情勢が続くと仮定した場合、世界はますます混乱を深めていくことは間違いありません。世界各地でのテロや戦乱、国家を超えたコーポラティズムの蔓延とそれに伴う格差の増大、原発などが残すことになる負の遺産、気候変動などによる今までにない自然災害の多発、世界規模での火山や地震の活発化、等々。いま大きな変化の渦に地球はあります。神経反射的・感情的・経済的な対応ではなく、多くの人々による深い気づきによる対応が必要なのではないでしょうか。ヨーガあるいはノン・デュアルは、ひょっとしてそこに貢献できるかもしれません。

シャクティに導かれシヴァの旅へ


さて、ここからは自分の旅の話へ。いままでインドで自分が訪れる場所は女神の聖地ばかりだったのですが、昨年、毎年訪れる南インドのとある聖地を7度目に訪問した後、インドの真ん中あたりのシヴァの聖地を訪ねることになりました。お札の意匠にシヴァ的な要素が入って来たのには、そんなパーソナルな側面もあったりします。実は、今年のクンバメーラ(12年に一度のインド最大のスピリチュアルな祭典)に行ってみようと思って、その開催地であるウッジャインを参拝しようと思ったのでその下見も兼ねた旅でした。ウッジャインを訪ねる前に、友人たちからお勧めの場所だと聞いていたナルマダ川沿いのとある聖地でマハー・シヴァラートリー(シヴァの祭り)の時期を過ごそうと思って行ったのでした。シャクティの聖地を出発するとき、いつになく友人たちが見送ってくれました。

母なるナルマダへ

聖なるナルマダは、ぱかーんと開けた空に清らかな大河が流れます。行った途端に気に入ってしまいました。あるサドゥ(出家行者)と出会い、クンバ・メーラが来年あるんだけど、行かないか?と誘われ、え、いや、クンバ・メーラどんな感じかなあ?と聞こうと思ってたんだよね、と話は早い。シヴァラートリーでは川辺のあちこちで繰り広げられているバジャンを訪ね歩き、そろそろこれからウッジャインに行くとサドゥに伝えに行くと、結局、そのサドゥと彼のアシュラムに来ているまた素敵なジェントルマンの3人でウッジャインに巡礼に行くことになりました。現地に詳しい方々がいてくれると話早いです! ウッジャインでのシヴァの聖地の最も代表的な寺やクンブ・メーラの会場となる子午線の通る寺を参拝し、2人は私を駅まで見送ってくれました。素敵なジェントルマンは最後に「君は戻ってくる、また戻ってくる、また戻ってくる!」と私に言いました。

1000万人が集まる巨大な祭りへ

今年の5月、ウッジャインのクンバ・メーラに行きました。詳しくは別の機会に譲りたいと思いますが、素敵なジェントルマンのいるアシュラムにどうにか辿り着くと、彼が出迎えてくれます。髪が短くなっています。「今日、サドゥになったんだ」と。ジェントルマンはサドゥになっていました。もうひとりのあのサドゥはどうしているのか聞くと、ナルマダにいるとのことで、翌日、滞在していたアシュラムに戻り、荷物をまとめナルマダへ。ウッジャインは半端なく暑かったので、予定になかったナルマダでひと涼みもかねて。良きサドゥに再会し、彼を連れて再びウッジャインへ。道は夜中にも関わらず巡礼のクルマで大渋滞です。一緒に旅をしたり巡礼をするのは、とても仲良くなれる気がします。
 彼らと共に過ごさせていただいたアシュラムは、ポジティブなエネルギーに満ちて素晴らしいところでした。昼間は45℃にもなります。夜は風が吹いて心地よく、何と言っても食事が半端なく美味しく、いままでインドでいただいた食事の中でも最も美味な食事のひとつでした。昼と晩に食事を5000食提供していて、ドネーションで成り立っているそうです。素晴らしい!
 サドゥと言う言葉の意味は、シヴァと同じく善き人、まさにジェントルマンです。そうでない方々も多かったりもするので、気をつけないといけないかなとも思っていたのですが、この2人のサドゥのおかげで、私はすっかりサドゥと呼ばれる人々に魅了されてしまいました。自由を愛し、シンプルに、思うままに、求めずに生きる人々。

動かされて・・・標高4,500メートルのサーダナ・プレイス


6月、ヒマラヤのガンジス源流部とその上のとある聖地へ。これは行くだけで充分修行です。まずは6時間のバス移動。しまいにはバスで山道を立って2時間 × 2回。2時間までは山道のバス乗車、立ったままでも大丈夫なことがわかりました(笑)。途中下車のおかげで温泉にも入れました!
 自動車で行ける最後の町、ガンゴトリまで行って、あるアシュラムに泊まり、翌日、アーサナの出来るシャラに行くと、なんとクライブのリトリートに来ている友人にばったり。彼女の旦那さんは何度もヒマラヤに来ていて、いろいろ詳しい話も聞けました。
 ウッジャインでの滞在は、知らぬ間に身体に相当なインパクトがあったらしく、その後、しばらく熱中症の後遺症のような感じでとても山に登れるようには思えなかったのですが、山に行く朝、それまで雨降りが続いていたのが晴れて、絶好の日和です。母なるガンガーに沿ってなだらかに登って行きます。しかし、さすがに登山、標高が上がるにつれて呼吸は厳しくなってきます。途中のアシュラムで一泊し、翌日はガンジス源流に参拝、その先は氷河、さらにその先は急な登り。ちょっと歩いたら一休み、を何度も繰り返しているうちに、開けているところに辿り着きました。標高4,500mのガンガーのシャクティとシヴァを象徴する山の聖なる行場でした。ここへ来る前、ある先輩行者の方にヒマラヤに行こうとは思ってるんだけど、熱中症の後遺症で「全然、登れる気がしないんですよね」と話してたんですが、「君が動くんじゃなくて、動かされるんだよ」と言われていたのです。まさにその通りでした。

ヒマラヤのアシュラム

ここでの話も、詳しい話はまたいずれですが、あるサドゥと出会い、彼のアシュラムに泊めさせていただきました。沈黙の行者で、会話はジェスチャーか筆談で返事が来ます。私が巡礼とサーダナ(行)のために来たことに好意を持っていただいたようで、滞在中はサーダナに専念させていただけました。ほぼ2日くらいはほぼ高山病のような感じでしたが、慣れてくると瞑想には最高の場所です。雪に閉ざされる冬も含め、彼は15年に渡りヒマラヤで過ごしているそうです。あるとき、彼に尋ねられました。何のためにヨーガをしているのかと。フィジカル・エクササイズのためか? セルフ・リアライゼーションのためか? と。それは、当然、セルフ・リアライゼーションでしょ。自分はアーサナもしますが、それはより瞑想を効果的に行うためで、アーサナはそのための手段であり目的ではありません、ってひょっとしてまだ「常識」じゃなかったりします? しかも、瞑想さえも手段であり、目的ではないって言ったらそれはラジカル過ぎ?
 でも、少なくともインドでは、瞑想なしに成就はないらしいですから、とりあえず最終手段らしいです。あ、訳の分からない話でしたら、すみません。もちろん、とりあえずのアーサナも大事です。目的化してしまうくらいはまり込むことも自分にとってやっぱり良い時間でした。それがあっての瞑想でした。
 ヒマラヤ聖地に滞在している時間そのものがある意味、瞑想でした。その中で、座って行う瞑想が深みをもたらします。何年かに一度は来てみたいなと思っていたら、沈黙のサドゥが筆談で修行のサポートをしてくれると言います。願ってもない! さらに、毎年、1ヵ月滞在するといいと。えっ!? それはちょっと難しいかな〜 でも、ちょっとトライしてみたいかも・・・ 日本に戻って来て、インドで体験したことを咀嚼して、自分なりの理解や意味合いが次第に明らかになってきます。何も特別なことはありません。誰もが一人ひとりユニークな存在であるだけです。それぞれがおかれた境遇であるがままにあるだけです。そのことに気付くだけです。

肯定的な選択肢に気付く

私たちは、否応なく、世界情勢や地球規模の変化やあるいは運命と言うものも巻き込まれざるをえないでしょう。しかし、根源的な意識は常にあるがままです。そこに気付けば、選択肢があります。多くの人々が目覚めることで、肯定的な未来を選び取れるのではないでしょうか? もちろん、過去も未来も心理的な投影に過ぎません。しかし、時間と空間に縛られた現象世界には、不可逆的なタイムラインが存在することは限定的ではありますが事実です。そして、人類は地球に負荷を与え過ぎています。強欲的な資本主義を押し進めるグループと無関心あるいは誤解によって知らず知らずのうちにその方々に白紙委任状を与えてしまうことによって、その流れはますます強くなってしまいます。まさにカリユガ、暗黒時代です。
 このままではどこかで後戻りが出来ないところに来てしまうかもしれません。流れが変わるきっかけがあったら、それを見逃さないことが必要かもしれません。暗黒時代には聖なるシャクティが目覚めるとも言われます。そして、シヴァは聖なるシャクティを愛します。恐れや不安があったら、それがいったい何なのか注意深く観察する必要があるかもしれません。私たちは一般的に、それまでの個々人の経験による条件反射的な反応をしてしまう傾向があります。その傾向を、価値判断を一旦わきに置いて、理解する必要があるかもしれません。

「サドゥになれよ」

最後に沈黙の行者のくれた言葉をいくつかシェアしたいと思います。「自分の内側に深く入り込むこと」「〔私〕とは何なのか問うこと」「そして〔私〕を見いだすこと」。サドゥは公式的には、いくつかの伝統的な流派のなかで認定された行者の方々を指す言葉と思っていましたが、彼はサドゥをこう書き表しました。「サドゥとはジェントルマンで、全てを愛し、善を為す者のこと」。クライブも本当のタントラ行者のことをジェントルマンと言っておりました。本当のタントラ行者もジェントルマン、あるいはジェントルレイディです。本当のヨーギ、ヨーギーニーもそうでしょう。クンバ・メーラで、あるサドゥのところに訪ねに行ったとき、サドゥたちの別れ際の挨拶の言葉を教えてもらいました。来訪者はサドゥに「サドゥになれよ」と言い、サドゥも来訪者に「サドゥになれよ」と返します。その時は、「え、素っぽんぽんで、身体中に灰を塗りたくるのはちょっと〜(笑)」と思ってましたが、そういうことだったんだと後になって理解し、ますますサドゥたちが素敵に思えて来ました。今ではいつか仲良くなったサドゥたちに日本に来て見てもらいたいと思います。そんな日を願いながら、自分でも思いもよらない自動書記的な「こんな話になっちゃうんだっ」て、ひょっとしてよく分けのわからない話をここまでお読みくださりありがとうございます。
 次回の更新はいつになることやらですが、機会がありましたらまたどうぞ〜